2024年05月

2024年05月24日 01:31

今日のウィーンから。葡萄の木々に既に初夏を感じる太陽の陽が降り注ぎます。
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今日5月23日(現地)はお昼12時30分から、第2回目の「第九」演奏会が行われた記録が残っています。
しかし決まったのは直前の5月19日。リハーサルも1回だけだった様子です。




2024年05月12日 15:54

ウィーンはきれいな街です。
窓を開ければStadt Parkの緑が目に、そして鳥のさえずりが聞こえてきます。遠くシュテファン大聖堂が鐘を鳴らしています。
心だけでも感じることができます。
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人類の求愛を求め、世界の平和を願った「第九」交響曲。今日5/12 オーケストラ 200 も「第九」に向けてスタートしました! 弦楽器、そして合唱団はまだまだ募集しています!!
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そして今日は母の日!心の中にある母、ベートーヴェンの願いは "Alle Menschen" が "Brüder" になること。誰もが大きな母なる気持ちでですね。

(ウィーンからの中継を終わります!)








2024年05月10日 19:08

早くに聴力を失い始めたベートーヴェンは31歳の時に医師からウィーン郊外ハイリゲンシュタットでの療養を兼ねた生活を勧められます。IMG_1362
今でも美しい葡萄畑が広がるカーレンベルグ(標高425m)の麓ハイリゲンシュタットにはベートーヴェンの足跡が数多く残っています。
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32歳の時、弟と甥のカールに遺書を書いたアパート(現在はベートーヴェン博物館)
ベートーヴェンは耳が聞こえないという苦悩、その運命を受入れ、彼にしかできない音楽を続けることを「遺書」という形で決意した地です。
「第九」の初演の時彼の耳にその音楽がどう聴こえていたかを実際に耳で体験できました。
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そして坂を下るとここにも「第九」のスケッチを進めた家が残っています。
今ではウィーンのワイン醸造所、そしてベートーヴェンを偲びながら出来立てのワインが楽しめるホイリゲ(葡萄の木の下で楽しむウィーンの居酒屋)になっています。IMG_1382
ベートーヴェンは引っ越しを繰り返したという有名な話がありますが、このハイリゲンシュタットの街を散歩していると他にも彼が住んでいたアパートが見つかります。(1808年)
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こちらは1817年に住んでいたアパートです。彼の荷物よりもピアノの移動がたいへんだったでしょう・・・

ふと振り返ると後ろの丘に新緑の葡萄の葉が美しく輝いています。








2024年05月08日 18:59

高らかな歓喜に鳴りやまぬ拍手!!
多くの言葉はいりません。生まれ故郷のボンに帰る事のなかったベートーヴェンの音を200年の間守り続けてきたことを実感する演奏でした。「楽譜」に描き残したベートーヴェン。変わらぬ「音」を奏でたウィーン・フィル。それを讃えたウィーン市民。
楽友協会合唱団の"Freude schöner Götterfunken!"はムジークフェラインのホールがまるで一つの大きな楽器になったように鳴り響きました。
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ウィーン郊外にあるバーデン。ベートーヴェンは難聴が進む中、その療養のためこの地を15回も訪ねています。静養が必要な彼でしたが曲を描くペンは止まらなかったようです。交響曲は第3番、6番などもこの地で筆を進めています。そして最後に住んだこの「第九」の家、今日もたくさんの人が彼を偲んで訪ねていました。

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ウィーンでの「第九」初演では、作品124序曲「献堂式」と作品123「ミサソレムニス」から3曲が一緒に演奏されていますが、この大作2つもこの家で作曲されました。

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初演を歌った4人のソリストのスケッチも残っていましたが、「それまでにない難しさ!」などというコメントがあるようにリハーサルは相当苦労したようです。

さて、ムーティ指揮ウィーン・フィルによる初演200年記念特別公演。あと2時間半で開演です。




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